8月6日の原爆記念式典。厳かに式典が行われる一方、平和公園の外では様々なデモも行われ、毎年騒然としています。

このため、広島市議会では一昨年6月に「広島市平和推進基本条例」を制定し、「平和記念日に,広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式を,市民等の理解と協力の下に,厳粛の中で行うものとする」としました(6条2項)。

しかし、実際は繰り返しデモが行われ、騒然としていました。核兵器に対して、様々な思いがあるのは理解できますが、厳かな式典が行われている間は控えて頂きたいと思います。

さて、8月6日は広島で原爆が投下された日ですが、その3日後に長崎でも原爆が投下されました。1回目の投下ですごい被害を出したにも関わらず、アメリカ軍はなぜ2回目の投下を行ったのか?

この問いに対する回答として、1回目はリトルボーイウラン型、2回目はプルトニウム型で、爆弾の種類・系統が違うので2回の投下を行ったという考え方があるようです。

しかし、歴史学者の林千勝氏が2020年8月にアメリカで機密解除された文書を調査したところ、「なぜ2回の原爆を投下したのか?」は正しい質問ではないということが分かりました。

アメリカは、原爆を2回投下して終了するというのではなく、何発も投下する計画を進めていました。3回目は8月17日以降、9月に4回目と5回目、10月に6回目~8回目を投下する予定だったそうです。

原爆投下を指示したアメリカ大統領は覚えているでしょうか?トルーマン大統領です。

林千勝氏によると、トルーマン大統領は広島・長崎の原爆を投下した後の8月10日に初めて、原爆が非人道的であることを知ったそうです。それにも関わらず、8月14日にイギリスのジョン・バルフォア公使と会談したトルーマン大統領は、「3回目の原爆は東京に落とす。それ以外に選択肢はない」と語ったそうです。

ただ、会談が終わった数時間後の8月14日午後4時5分(ワシントン時間)に、ホワイトハウスに日本のポツダム宣言受諾の報告が入り、戦争は終結となり、3回目の原爆は日本に投下されませんでした。

裏を返せば、日本のポツダム宣言受諾が数日遅れていたら、3回目の原爆が投下されていたと言えます。

「なぜ、アメリカ軍は日本に2回の原爆を投下したのか?」ではなく、「アメリカ軍は何回も原爆を投下する予定だったが、日本の敗戦によって、2回の投下で終わった」というのが事実となります。

林千勝氏は一次資料をもとに調査分析を行い、真実に迫るアプローチを行います。特に日本の歴史において、一次資料を丁寧に読み込むことで、学校で習ってきた通説と、真実が真逆であることも数多く証明しています。

是非、学校教育で教えて頂きたいと個人的に願っております。

今回ご紹介した内容は、こちらの動画からご覧いただけますので、ご興味のある方は是非ご覧ください。


 

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